小橋幹子 氏の葬儀に関わる話を伝え聞くと、なんというか、芸、音楽は一代なのだな・・としみじみ思われる。
どれだけの演奏をして、感動を与えたかだけが残るもので、あとは、何も残らない。
精神のみが継承されれば、それで十分なのかなあ。
そんな真剣な生き方を、俺はしているだろうか。邦楽とは関係ないが、考えさせられる。
2011年6月13日月曜日
2011年5月16日月曜日
小橋幹子 氏を悼む
宮城会の重鎮であられた小橋幹子 氏がご逝去されていたそうだ。近親の方で密葬された後、宮城会の関係者に連絡をされたとのことだ。
おって、一般の者が参じる機会は設けられるとのことだ。
故人は舞台、演奏に徹した方でもあり、かつて、死に顔など見せたくないとも望んでおられたとのよし。今年の10月には101歳を迎えるはずであったが、十分に生き、なすべきことを成された・・・のでは、ないだろうか。
芸事、音は、録音、録画などの技術は発達し、その演奏や舞台、ステージの片鱗を知ることはできるのだが、生の音、ステージは瞬間のもの。
一期一会ということが、ヒシヒシと思われるのは、自分も歳をとったのかもしれない。
ご冥福を祈りたい。
おって、一般の者が参じる機会は設けられるとのことだ。
故人は舞台、演奏に徹した方でもあり、かつて、死に顔など見せたくないとも望んでおられたとのよし。今年の10月には101歳を迎えるはずであったが、十分に生き、なすべきことを成された・・・のでは、ないだろうか。
芸事、音は、録音、録画などの技術は発達し、その演奏や舞台、ステージの片鱗を知ることはできるのだが、生の音、ステージは瞬間のもの。
一期一会ということが、ヒシヒシと思われるのは、自分も歳をとったのかもしれない。
ご冥福を祈りたい。
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