2011年5月25日水曜日

最近、聞いてないので

最近、邦楽聞いてない、勉強さぼっているので、音源なにか・・と思ったのだが、レコードかよ・・。

いやぁ・・CD欲しいな、復刻版とかあるよな。

2011年5月19日木曜日

瞬間芸

お笑いとか、宴会の席の瞬間芸の話じゃない。音楽というのは、邦楽に限らず、瞬間の芸だと思うのだ。

絵画、彫刻、文学は、時間を越えて、残るものは、残る。
しかし、どんなに録音、録画のテクノロジーがあっても、音楽や舞台芸術は、その時のものでしかない。

演奏をした事実は文書として記録に残るかもしれない。
録音によって、ある程度は残るかもしれない。

けれで、音楽、舞台は、その時・・なんだなぁ・・としみじみ思うのだ。

2011年5月17日火曜日

芸について思う

「芸」という言葉なんだが、お笑いを芸とか芸人というのは、勘弁して欲しいと思う一人だ。

お笑いは、お笑いで面白いので、TVで見るのだが、あれを「芸」と言ってしまうと、伝統や文化を継承し、幼少から稽古、訓練を重ねてきた方が、気の毒に思えてならない。

邦楽だけじゃなく、芸術、芸事には、芸術の使命・・というものがあると思っている。それゆえに厚志家、まあパトロンなりが存在してきたわけなんだが。

気ままに、好き勝手な行動をすることが、個性の発揮、パーソナリティだと、非常識な行動、奇矯な言動をする人は「芸人」と称して欲しくはない。まぁ、「芸」という言葉の定義、解釈の問題なんだろうけどな。

2011年5月16日月曜日

小橋幹子 氏を悼む

宮城会の重鎮であられた小橋幹子 氏がご逝去されていたそうだ。近親の方で密葬された後、宮城会の関係者に連絡をされたとのことだ。
おって、一般の者が参じる機会は設けられるとのことだ。

故人は舞台、演奏に徹した方でもあり、かつて、死に顔など見せたくないとも望んでおられたとのよし。今年の10月には101歳を迎えるはずであったが、十分に生き、なすべきことを成された・・・のでは、ないだろうか。

芸事、音は、録音、録画などの技術は発達し、その演奏や舞台、ステージの片鱗を知ることはできるのだが、生の音、ステージは瞬間のもの。
一期一会ということが、ヒシヒシと思われるのは、自分も歳をとったのかもしれない。

ご冥福を祈りたい。

2011年5月14日土曜日

アン ハーモニー

お弟子さんのお稽古。
リフレインの辛さについて書いたのだが、まだ聴こえて辛いこともあるのだ。

音が外れる・・である。不協和音w

琴、筝という楽器は、押さえる力が違うと音が変わる。音の高さも違う。
演奏をするわけではないので、テクニックはよくわからん。

その押さえかたじゃなく、こうだ、と、先生と弟子が一緒に演奏する。不協和音になる。むずがゆいw
素人にだって、明らかに、違うとわかる。まあ違いがわかるように教えているわけで、稽古としては、それでいいのだが・・。

聴かされるのは、けっこう辛いぞ。
まぁ・・そもそも人に聴かせるものじゃないんだけどなw

2011年5月10日火曜日

リフレイン

家で、家内が琴(筝)、三味線(三絃)を教えている。

家内が、そんなことをやっている・・と知れると大抵の反応は、「優雅」「風雅」「風情」で、「いいですね」

うん、そりゃね、ちゃんと弾いてくれたら、そりゃあ、そうかもしれない。
けどね、きっと何の楽器、音楽でもそうだろうけど、練習とか稽古ってのは、まだ曲、演奏になってないんだよな。

同じフレーズが延々とリフレインされるw
メロディになって流れていれば、それはそれで聴いていられるのだが、流れて中断し、戻って少しいって中断し。

なんとも、聴いてしまうと、欲求不満になるので、聴かない様にしている。