2011年4月27日水曜日

重音会 第20回筝曲演奏会 書き終えて

2011/4/9 日本橋公会堂(日本橋劇場)で行われた、宮城会の金津千恵子大師範が主宰される重音会の演奏会(発表会)を聞かせていただいて、数回にわけて、聞いた曲、演奏についてのメモを残してみた。

最後の2曲、新砧、青柳は、素人でも圧倒される演奏だったが、その他にも、いくつか楽しめる演奏ががあった。

2011年4月25日月曜日

青柳 石川勾当

石川勾当(こうとう)作曲

箏 金津千恵子
三弦 芦垣美穂
尺八 善養寺恵介

日本橋公会堂
2011/4/9


石川勾当は、江戸後期、京都で活躍した地歌の三弦家だ。
演奏よりも作曲に才能があったが、性格はあまり良くなくて、同業者、仲間からは嫌われて、あまり幸せではなかったようだ。しかしそれでも「石川の三つ物」といわれる難曲中の難曲を残して今日に伝わる。
八重衣,融,新青柳の他、吾妻獅子の替手,新娘道成寺なども、石川勾当の仕事だ。
石川勾当作曲の演奏を聴くとさ、なんというか、人生って何だろうなぁ・・とか考えちゃうよなぁ・・w
つくづく、小市民だよな・・おれはw

今回の演奏は、素人には的確に文字に表現できない。
が、とにかく、なんつ~難しそうな曲を、よくもまぁ・・w。とだけ書いておく。

2011年4月23日土曜日

新砧

新砧

作曲者 不詳

三弦 金津千恵子
箏(地)芦垣美穂

日本橋公会堂
2011/4/9

新砧は、作曲者 不詳であるが、昭和47年6月9日に、 三弦 中能島欣一、箏(地)吉田純三によって演奏された記録がある。

この時の演奏は、前弾の作曲、および全曲の編曲は、中能島欣一が行ったという。勿論、私は、この時の演奏は、聞いていない。
中能島欣一 氏は、その後も、新砧を演奏する機会があったようだが詳細は不明である。

中能島欣一 氏以降、長らく、新砧は、上梓されることがなかったようだが、今回の箏(地)を演奏した芦垣美穂氏によって、数年前から演奏されるようになったようだ。

砧(きぬた)は、衣板(きぬいた)の略のようで、木づちで布を打つときに用いる木や石の台、あるは打つことそのものも言う。
砧の目的は、布をやわらかくし,目をつめ,つやを出すために行う。
おもに麻,木綿など粗目の織物に用いるのだが、打衣(うちぎぬ)という言葉もあり、古くは絹も砧で打って光沢を出していたとのことだ。

演奏は、素人の自分でも、三弦 の超絶技巧は、わかる。わかるというか、三弦という楽器の奏法、技が、次々と繰り出され、圧倒される。
その、動きの激しい三弦に対して、箏(地)は、目立たず単調にも思えるが、どっこいそうではない。単純な、いわばベースを、これだけ音を使い分けて、三弦に的確に合いの手をいれている箏(地)にも、あっけにとられる。曲の主旨からすれば、たぶん、不適切な文言だろうが、壮絶・・という印象だった。圧倒され、立ち上がれないw

2011年4月20日水曜日

御山獅子 菊岡検校

御山獅子
菊岡検校 作曲

筝 南海佳子
三絃 湯井麻里子 日吉省吾
尺八 善養寺恵介


日本橋公会堂
2011/4/9

華麗というか、めでたい曲である。

前半は、神路山、二見が浦の夏
後半で、秋の夕べから冬を歌う。

神路山 昔に変わらぬ杉の枝 茅の御屋根に五色の玉も 
光を輝す朝日山 清き流の五十鈴川 御裳濯川のほしのあみ 
宇治の里ぞと見渡せば 頃は弥生の賑わしく 門に笹たて 鈴の音も
獅子の舞ぞとうたひつる 山をこしたる小田の橋 岩戸の山に神楽を奏し 
二見の浦の朝景色 岩間に淀む藻汐草

関寺の夕景色 野辺の蛍や美女の遊び 浮かれてくむや盃の 
はや鳩口のもみじばを 染めて楽しむ老人の 浅熊山眺めに勝る奥の院 
晴れ渡りたる富士の白雪

尺八の善養寺恵介 氏は、文化庁の何だったか(wに、コンサートを主催して参加されたこともあるプロだ。

こういう おめでたい曲であれば、若手の奏者でも、雰囲気にあいそうな感じなんだが、今回は、受け取るこちら側に問題があるのか、ノリが悪く思ってしまったw
まあ、なんか、世の中、騒がしいし、落ち着かないし。しょうがないか。

2011年4月19日火曜日

古ざらし 深草検校

古ざらし

深草検校 作曲

三絃 本手 中田久美子 澤村祐司
地 南海佳子

日本橋公会堂
2011/4/9

「さらし」は、地歌、箏曲をやる人には、馴染みがあるのだろうが、素人には、「さらし」がたくさんありすぎて、違いなんかも、よくわからんw

もとは、元禄時代(1688~1704)のころに、深草検校が「古ざらし」を作曲し、
のちに、山田流の「さらし」「新ざらし」、
中能島欣一の「さらし幻想曲」、「さらしに寄せる合奏曲」。
生田流では、三絃の「早ざらし」
宮城道雄の「さらし風手事」
が、深草検校の「古ざらし」をインスパイアしている。

槙の鳥には さらす麻布 賤が仕業や 宇治川の 波か雪かと白妙に いざ立ち出でて 布さらそう
かささぎの 渡せる橋の霜よりも 晒せる布に白み在り候 のうのう山が見え候 朝日山に霞みたなびく
景色は たとえ駿河の富士はものかは 富士はものかは
見渡せば 見渡せば 伏見 竹田に淀 鳥羽も いずれ劣らぬ名所かな いずれ劣らぬ名所かな
立波は 立波は 瀬々の網代にさへられて 流るる水を堰き止めよ 流るる水を堰き止めよ
所からとてな 所からとてな 布を手毎に 槙の里人打ち連れて 戻ろうやれ 賤が家へ

演奏は、若い本手の奏者が緊張なのか、最初の一声が、やや素っ頓狂な印象があったが、次第に、落ち着いてきたようで、楽器の演奏の掛け合い、歌詞や歌の調子も楽しめた。できれば、ステージではなく、お座敷で、一杯やりながら聴いてみたいものだ。

2011年4月18日月曜日

萩の露 幾山検校

萩の露

作曲:幾山検校
詞:川瀬霞紅園

日本橋公会堂
2011/4/9

筝 湯井 麻里子
三絃 南海 佳子

京風手事で、歌われるのは、秋の情緒、萩。これに事寄せて、男のに裏切られた女の心情。
成立は明治初期。

演奏者の2人は、若いよなぁ・・。けして上手い、下手の話じゃなくてね。
いやぁ・・こういうのは、もっと年齢が上のほうが、スゴミがあるんだと思うのさ。


演奏中、余震がきたけど、動じず演奏を続けた2人はさすがです。

邦楽聴きながら死んじゃうのかもな・・おれ・・とか思ったけどw

2011年4月13日水曜日

冬の曲 吉田検校

冬の曲
吉田検校 作曲

2011/4/9
日本橋公会堂

本手 大歳久美子
替手 中田久美子
尺八 芦垣皞盟

吉沢検校 作曲の古今組 の 冬の局は、4種の和歌を歌詞にする。

竜田川錦おりかく神無月 しぐれの雨をたてぬきにして
白雪の所もわかず降りしけば 巌にも咲く花とこそ見れ
み吉野の山の白雪ふみわけて 入りにし人の音つれもなし
きのふと言ひけふと暮らして飛鳥川 流れてはやき月日なりけり

替手の中田久美子、尺八の芦垣皞盟は、CDへの録音に参加するなど、プロの演奏者であり、今回の会では期待していた演目のひとつである。
素人なので、技量のヨシアシについてのコメントは避けるが、総じてまあまあ楽しめたと思う。

2011年4月12日火曜日

手事 第3楽章 輪舌

手事 第3楽章 輪舌 
宮城道雄作曲

2011/4/9 日本橋公会堂

手事は、宮城道雄の1947年の作曲で、第1楽章 手事、第2楽章 組歌風、第3楽章 輪舌という構成だが、今回上梓されたのは、第3楽章 輪舌である。

宮城道雄の作曲では、「さらし風手事」というのもあるが、こちらは、近世邦楽の音型パターン「さらし」をモチーフにした手事形式の曲で、1952年の作曲であって別のものだ。

今回の演奏は、学生風の男性の筝演奏。練習、稽古をしてきた成果の発表で、素人にも荒さがわかってしまったが、きっと、もう少し練習時間があれば、よくなるんだろうな、と、未来に期待。若い世代が、真面目に筝に挑んでいる姿は、それはそれでいいもんだなぁ。

2011年4月11日月曜日

みだれ (乱輪舌)筝 独奏

2011/4/9 日本橋公会堂

箏曲 みだれ は、乱輪舌(みだれりんぜつ)の略称だが、みだれ で通る。
八橋検校(1614-1685)の作曲だ。
一曲中のテンポがいろいろに変わるところから、乱れと言われるし、輪舌は、和音や装飾音など、箏の技巧的な演奏法で、箏曲 として楽器の動きがあり、素人が聞いても面白い曲ではある。

今回、聴いたのは、中学生か高校生かw
演奏的なコメント・・というより、なかなか大変な曲を、一生懸命演奏している姿に感動した。

2011年4月10日日曜日

重音会 第20回筝曲演奏会

2011/4/9 日本橋公会堂(日本橋劇場)で行われた、宮城会の金津千恵子大師範が主宰される重音会の演奏会(発表会)を聞かせていただいた。

この種の演奏会(発表会)は、重音会に限らず、会の主宰者が指導している弟子、生徒の発表が時間の大半を占める。12:00開演で終了は19:00近かったが、最初は小学生や、大学のクラブ(筝曲、三曲、尺八など)の学生の演奏、発表でプロの演奏ではない。
客層も、親兄弟、親類縁者、友人などで、「演奏」として注目すべきことがあるかというと、そういうわけではない。
しかしプログラム、会の最後の2,3曲は、会の主宰者自身と賛助出演のプロ達の、威信をかけた素晴らしい演奏が聴けることが多く、いわば、その最後の2,3曲を目的に行く。

そりゃあ、若いお嬢さんの着物姿の筝曲や三味線を、別の方向性で鑑賞?したい向きをあるだろうが、下手な演奏だと、聞いているとおかしくなる。ことに自分のような素人だと、ちゃんとした演奏だけを聞くようにしないと、「いい音」「いい演奏」というのが、わからないままになる。

今回も時間を見計らって行ったのだが、予想外の事態。何かのトラブルなんだろうか、プログラムの順番が入れ替わっていて、かなり後ろで、中学生くらいの、みだれ 筝独奏と、大学生くらいの、手事 第三楽章 輪舌も聴くことになったのは計算外だった。
結果として、しっかり比較できて、最後の、新砧、青柳は、ただでさえ素人でも圧倒される演奏が、より際立ったと思う。まぁ・・あの子達、あの順番でやったのは、気の毒ではある。

最後の2曲と、途中の古ざらし あたりは非常に充実して楽しめ、それだけでも足を運んだ価値があったと思う。

2011年4月9日土曜日

邦楽の話題を戻します

ブログを統合したのだが、まぁ。分野別にまた分割します。

琴、筝、三絃、三味線、地唄、邦楽などの話題は、ここで。