2011年7月24日日曜日

お稽古

お稽古の音が聞こえる。

優雅でいいですね・・という人がいるが、そうでもない。

うまい、下手は、わからんのだが、とにかく、メロディになっていれば、邪魔にはならない。でも稽古なんで、そうはいかない。
止まる。繰り返す、単音だけ、何度もやる。
とても、曲として成立していない。
しょうがない、練習、稽古だ。人に聞かせるものじゃない。

ので、自分の部屋で、負けないヴォリュームで、CDを聴くw

2011年6月13日月曜日

小橋幹子 氏を悼む2

小橋幹子 氏の葬儀に関わる話を伝え聞くと、なんというか、芸、音楽は一代なのだな・・としみじみ思われる。

どれだけの演奏をして、感動を与えたかだけが残るもので、あとは、何も残らない。
精神のみが継承されれば、それで十分なのかなあ。

そんな真剣な生き方を、俺はしているだろうか。邦楽とは関係ないが、考えさせられる。

2011年5月25日水曜日

最近、聞いてないので

最近、邦楽聞いてない、勉強さぼっているので、音源なにか・・と思ったのだが、レコードかよ・・。

いやぁ・・CD欲しいな、復刻版とかあるよな。

2011年5月19日木曜日

瞬間芸

お笑いとか、宴会の席の瞬間芸の話じゃない。音楽というのは、邦楽に限らず、瞬間の芸だと思うのだ。

絵画、彫刻、文学は、時間を越えて、残るものは、残る。
しかし、どんなに録音、録画のテクノロジーがあっても、音楽や舞台芸術は、その時のものでしかない。

演奏をした事実は文書として記録に残るかもしれない。
録音によって、ある程度は残るかもしれない。

けれで、音楽、舞台は、その時・・なんだなぁ・・としみじみ思うのだ。

2011年5月17日火曜日

芸について思う

「芸」という言葉なんだが、お笑いを芸とか芸人というのは、勘弁して欲しいと思う一人だ。

お笑いは、お笑いで面白いので、TVで見るのだが、あれを「芸」と言ってしまうと、伝統や文化を継承し、幼少から稽古、訓練を重ねてきた方が、気の毒に思えてならない。

邦楽だけじゃなく、芸術、芸事には、芸術の使命・・というものがあると思っている。それゆえに厚志家、まあパトロンなりが存在してきたわけなんだが。

気ままに、好き勝手な行動をすることが、個性の発揮、パーソナリティだと、非常識な行動、奇矯な言動をする人は「芸人」と称して欲しくはない。まぁ、「芸」という言葉の定義、解釈の問題なんだろうけどな。

2011年5月16日月曜日

小橋幹子 氏を悼む

宮城会の重鎮であられた小橋幹子 氏がご逝去されていたそうだ。近親の方で密葬された後、宮城会の関係者に連絡をされたとのことだ。
おって、一般の者が参じる機会は設けられるとのことだ。

故人は舞台、演奏に徹した方でもあり、かつて、死に顔など見せたくないとも望んでおられたとのよし。今年の10月には101歳を迎えるはずであったが、十分に生き、なすべきことを成された・・・のでは、ないだろうか。

芸事、音は、録音、録画などの技術は発達し、その演奏や舞台、ステージの片鱗を知ることはできるのだが、生の音、ステージは瞬間のもの。
一期一会ということが、ヒシヒシと思われるのは、自分も歳をとったのかもしれない。

ご冥福を祈りたい。

2011年5月14日土曜日

アン ハーモニー

お弟子さんのお稽古。
リフレインの辛さについて書いたのだが、まだ聴こえて辛いこともあるのだ。

音が外れる・・である。不協和音w

琴、筝という楽器は、押さえる力が違うと音が変わる。音の高さも違う。
演奏をするわけではないので、テクニックはよくわからん。

その押さえかたじゃなく、こうだ、と、先生と弟子が一緒に演奏する。不協和音になる。むずがゆいw
素人にだって、明らかに、違うとわかる。まあ違いがわかるように教えているわけで、稽古としては、それでいいのだが・・。

聴かされるのは、けっこう辛いぞ。
まぁ・・そもそも人に聴かせるものじゃないんだけどなw

2011年5月10日火曜日

リフレイン

家で、家内が琴(筝)、三味線(三絃)を教えている。

家内が、そんなことをやっている・・と知れると大抵の反応は、「優雅」「風雅」「風情」で、「いいですね」

うん、そりゃね、ちゃんと弾いてくれたら、そりゃあ、そうかもしれない。
けどね、きっと何の楽器、音楽でもそうだろうけど、練習とか稽古ってのは、まだ曲、演奏になってないんだよな。

同じフレーズが延々とリフレインされるw
メロディになって流れていれば、それはそれで聴いていられるのだが、流れて中断し、戻って少しいって中断し。

なんとも、聴いてしまうと、欲求不満になるので、聴かない様にしている。

2011年4月27日水曜日

重音会 第20回筝曲演奏会 書き終えて

2011/4/9 日本橋公会堂(日本橋劇場)で行われた、宮城会の金津千恵子大師範が主宰される重音会の演奏会(発表会)を聞かせていただいて、数回にわけて、聞いた曲、演奏についてのメモを残してみた。

最後の2曲、新砧、青柳は、素人でも圧倒される演奏だったが、その他にも、いくつか楽しめる演奏ががあった。

2011年4月25日月曜日

青柳 石川勾当

石川勾当(こうとう)作曲

箏 金津千恵子
三弦 芦垣美穂
尺八 善養寺恵介

日本橋公会堂
2011/4/9


石川勾当は、江戸後期、京都で活躍した地歌の三弦家だ。
演奏よりも作曲に才能があったが、性格はあまり良くなくて、同業者、仲間からは嫌われて、あまり幸せではなかったようだ。しかしそれでも「石川の三つ物」といわれる難曲中の難曲を残して今日に伝わる。
八重衣,融,新青柳の他、吾妻獅子の替手,新娘道成寺なども、石川勾当の仕事だ。
石川勾当作曲の演奏を聴くとさ、なんというか、人生って何だろうなぁ・・とか考えちゃうよなぁ・・w
つくづく、小市民だよな・・おれはw

今回の演奏は、素人には的確に文字に表現できない。
が、とにかく、なんつ~難しそうな曲を、よくもまぁ・・w。とだけ書いておく。

2011年4月23日土曜日

新砧

新砧

作曲者 不詳

三弦 金津千恵子
箏(地)芦垣美穂

日本橋公会堂
2011/4/9

新砧は、作曲者 不詳であるが、昭和47年6月9日に、 三弦 中能島欣一、箏(地)吉田純三によって演奏された記録がある。

この時の演奏は、前弾の作曲、および全曲の編曲は、中能島欣一が行ったという。勿論、私は、この時の演奏は、聞いていない。
中能島欣一 氏は、その後も、新砧を演奏する機会があったようだが詳細は不明である。

中能島欣一 氏以降、長らく、新砧は、上梓されることがなかったようだが、今回の箏(地)を演奏した芦垣美穂氏によって、数年前から演奏されるようになったようだ。

砧(きぬた)は、衣板(きぬいた)の略のようで、木づちで布を打つときに用いる木や石の台、あるは打つことそのものも言う。
砧の目的は、布をやわらかくし,目をつめ,つやを出すために行う。
おもに麻,木綿など粗目の織物に用いるのだが、打衣(うちぎぬ)という言葉もあり、古くは絹も砧で打って光沢を出していたとのことだ。

演奏は、素人の自分でも、三弦 の超絶技巧は、わかる。わかるというか、三弦という楽器の奏法、技が、次々と繰り出され、圧倒される。
その、動きの激しい三弦に対して、箏(地)は、目立たず単調にも思えるが、どっこいそうではない。単純な、いわばベースを、これだけ音を使い分けて、三弦に的確に合いの手をいれている箏(地)にも、あっけにとられる。曲の主旨からすれば、たぶん、不適切な文言だろうが、壮絶・・という印象だった。圧倒され、立ち上がれないw

2011年4月20日水曜日

御山獅子 菊岡検校

御山獅子
菊岡検校 作曲

筝 南海佳子
三絃 湯井麻里子 日吉省吾
尺八 善養寺恵介


日本橋公会堂
2011/4/9

華麗というか、めでたい曲である。

前半は、神路山、二見が浦の夏
後半で、秋の夕べから冬を歌う。

神路山 昔に変わらぬ杉の枝 茅の御屋根に五色の玉も 
光を輝す朝日山 清き流の五十鈴川 御裳濯川のほしのあみ 
宇治の里ぞと見渡せば 頃は弥生の賑わしく 門に笹たて 鈴の音も
獅子の舞ぞとうたひつる 山をこしたる小田の橋 岩戸の山に神楽を奏し 
二見の浦の朝景色 岩間に淀む藻汐草

関寺の夕景色 野辺の蛍や美女の遊び 浮かれてくむや盃の 
はや鳩口のもみじばを 染めて楽しむ老人の 浅熊山眺めに勝る奥の院 
晴れ渡りたる富士の白雪

尺八の善養寺恵介 氏は、文化庁の何だったか(wに、コンサートを主催して参加されたこともあるプロだ。

こういう おめでたい曲であれば、若手の奏者でも、雰囲気にあいそうな感じなんだが、今回は、受け取るこちら側に問題があるのか、ノリが悪く思ってしまったw
まあ、なんか、世の中、騒がしいし、落ち着かないし。しょうがないか。

2011年4月19日火曜日

古ざらし 深草検校

古ざらし

深草検校 作曲

三絃 本手 中田久美子 澤村祐司
地 南海佳子

日本橋公会堂
2011/4/9

「さらし」は、地歌、箏曲をやる人には、馴染みがあるのだろうが、素人には、「さらし」がたくさんありすぎて、違いなんかも、よくわからんw

もとは、元禄時代(1688~1704)のころに、深草検校が「古ざらし」を作曲し、
のちに、山田流の「さらし」「新ざらし」、
中能島欣一の「さらし幻想曲」、「さらしに寄せる合奏曲」。
生田流では、三絃の「早ざらし」
宮城道雄の「さらし風手事」
が、深草検校の「古ざらし」をインスパイアしている。

槙の鳥には さらす麻布 賤が仕業や 宇治川の 波か雪かと白妙に いざ立ち出でて 布さらそう
かささぎの 渡せる橋の霜よりも 晒せる布に白み在り候 のうのう山が見え候 朝日山に霞みたなびく
景色は たとえ駿河の富士はものかは 富士はものかは
見渡せば 見渡せば 伏見 竹田に淀 鳥羽も いずれ劣らぬ名所かな いずれ劣らぬ名所かな
立波は 立波は 瀬々の網代にさへられて 流るる水を堰き止めよ 流るる水を堰き止めよ
所からとてな 所からとてな 布を手毎に 槙の里人打ち連れて 戻ろうやれ 賤が家へ

演奏は、若い本手の奏者が緊張なのか、最初の一声が、やや素っ頓狂な印象があったが、次第に、落ち着いてきたようで、楽器の演奏の掛け合い、歌詞や歌の調子も楽しめた。できれば、ステージではなく、お座敷で、一杯やりながら聴いてみたいものだ。

2011年4月18日月曜日

萩の露 幾山検校

萩の露

作曲:幾山検校
詞:川瀬霞紅園

日本橋公会堂
2011/4/9

筝 湯井 麻里子
三絃 南海 佳子

京風手事で、歌われるのは、秋の情緒、萩。これに事寄せて、男のに裏切られた女の心情。
成立は明治初期。

演奏者の2人は、若いよなぁ・・。けして上手い、下手の話じゃなくてね。
いやぁ・・こういうのは、もっと年齢が上のほうが、スゴミがあるんだと思うのさ。


演奏中、余震がきたけど、動じず演奏を続けた2人はさすがです。

邦楽聴きながら死んじゃうのかもな・・おれ・・とか思ったけどw

2011年4月13日水曜日

冬の曲 吉田検校

冬の曲
吉田検校 作曲

2011/4/9
日本橋公会堂

本手 大歳久美子
替手 中田久美子
尺八 芦垣皞盟

吉沢検校 作曲の古今組 の 冬の局は、4種の和歌を歌詞にする。

竜田川錦おりかく神無月 しぐれの雨をたてぬきにして
白雪の所もわかず降りしけば 巌にも咲く花とこそ見れ
み吉野の山の白雪ふみわけて 入りにし人の音つれもなし
きのふと言ひけふと暮らして飛鳥川 流れてはやき月日なりけり

替手の中田久美子、尺八の芦垣皞盟は、CDへの録音に参加するなど、プロの演奏者であり、今回の会では期待していた演目のひとつである。
素人なので、技量のヨシアシについてのコメントは避けるが、総じてまあまあ楽しめたと思う。

2011年4月12日火曜日

手事 第3楽章 輪舌

手事 第3楽章 輪舌 
宮城道雄作曲

2011/4/9 日本橋公会堂

手事は、宮城道雄の1947年の作曲で、第1楽章 手事、第2楽章 組歌風、第3楽章 輪舌という構成だが、今回上梓されたのは、第3楽章 輪舌である。

宮城道雄の作曲では、「さらし風手事」というのもあるが、こちらは、近世邦楽の音型パターン「さらし」をモチーフにした手事形式の曲で、1952年の作曲であって別のものだ。

今回の演奏は、学生風の男性の筝演奏。練習、稽古をしてきた成果の発表で、素人にも荒さがわかってしまったが、きっと、もう少し練習時間があれば、よくなるんだろうな、と、未来に期待。若い世代が、真面目に筝に挑んでいる姿は、それはそれでいいもんだなぁ。

2011年4月11日月曜日

みだれ (乱輪舌)筝 独奏

2011/4/9 日本橋公会堂

箏曲 みだれ は、乱輪舌(みだれりんぜつ)の略称だが、みだれ で通る。
八橋検校(1614-1685)の作曲だ。
一曲中のテンポがいろいろに変わるところから、乱れと言われるし、輪舌は、和音や装飾音など、箏の技巧的な演奏法で、箏曲 として楽器の動きがあり、素人が聞いても面白い曲ではある。

今回、聴いたのは、中学生か高校生かw
演奏的なコメント・・というより、なかなか大変な曲を、一生懸命演奏している姿に感動した。

2011年4月10日日曜日

重音会 第20回筝曲演奏会

2011/4/9 日本橋公会堂(日本橋劇場)で行われた、宮城会の金津千恵子大師範が主宰される重音会の演奏会(発表会)を聞かせていただいた。

この種の演奏会(発表会)は、重音会に限らず、会の主宰者が指導している弟子、生徒の発表が時間の大半を占める。12:00開演で終了は19:00近かったが、最初は小学生や、大学のクラブ(筝曲、三曲、尺八など)の学生の演奏、発表でプロの演奏ではない。
客層も、親兄弟、親類縁者、友人などで、「演奏」として注目すべきことがあるかというと、そういうわけではない。
しかしプログラム、会の最後の2,3曲は、会の主宰者自身と賛助出演のプロ達の、威信をかけた素晴らしい演奏が聴けることが多く、いわば、その最後の2,3曲を目的に行く。

そりゃあ、若いお嬢さんの着物姿の筝曲や三味線を、別の方向性で鑑賞?したい向きをあるだろうが、下手な演奏だと、聞いているとおかしくなる。ことに自分のような素人だと、ちゃんとした演奏だけを聞くようにしないと、「いい音」「いい演奏」というのが、わからないままになる。

今回も時間を見計らって行ったのだが、予想外の事態。何かのトラブルなんだろうか、プログラムの順番が入れ替わっていて、かなり後ろで、中学生くらいの、みだれ 筝独奏と、大学生くらいの、手事 第三楽章 輪舌も聴くことになったのは計算外だった。
結果として、しっかり比較できて、最後の、新砧、青柳は、ただでさえ素人でも圧倒される演奏が、より際立ったと思う。まぁ・・あの子達、あの順番でやったのは、気の毒ではある。

最後の2曲と、途中の古ざらし あたりは非常に充実して楽しめ、それだけでも足を運んだ価値があったと思う。

2011年4月9日土曜日

邦楽の話題を戻します

ブログを統合したのだが、まぁ。分野別にまた分割します。

琴、筝、三絃、三味線、地唄、邦楽などの話題は、ここで。

2007年11月22日木曜日

引越します。

Blogの整理やってます。

ここも引っ越します

引越し先

http://blog.livedoor.jp/terutakahashi/

ここは、しばらくは残りますが、もう更新しませんので。

2007年7月15日日曜日

千代の寿

2007/7/15 御殿場市市民会館ホール

宮城道雄作曲 桜居女作歌

筝 矢部美保子 羽冨順子 岩田裕子 
三絃 柿木原こう 松田秀佳 山田天留美 平間佐知
尺八 勝又鍾算山 杉山瓢太

ひとりひとりの技量がどうこうというより、団体戦・・というか合奏の楽しさが味わえた。
旋律がはっきりしてて、素人である僕にもわかりやすく、お目出度い気分にしてくれた。

八重衣

2007/7/15 御殿場市市民会館ホール

石川勾当 作曲 八重崎検校筝手付

筝 中田久美子
三絃 金津千重子
尺八 秦瓢山

先日、レコードで聞いたが、今回はステージで。

レコードの大御所と比べるのは酷な話なんだろうが、なんとなくぼやけてしまっている印象は、ぬぐえない。
当日は、台風襲来もあり、湿度は異様に高かったことも影響しているのだろうか?

もちろん、生音であることの有利さや面白さはあって、たぶん、事前に、レコードで聞いていなければ、これはこれで楽しめたのだろうと思う。

水の変態

2007/7/15 御殿場市市民会館ホール

宮城道雄作曲

筝本手 中田久美子
筝替手 金津千重子

最初にタイトルを聞いたとき、プールや海に出没する変質者をイメージした。自分の知性の程度が露呈してしまったのだが。

水が流れ、様がうつろい変化する「変態」を曲にした。
明治42年のころの高等小学校の読本には、「水の変態」というのが、あったらしい。
弟がその読本を読んでいるのを聞いた宮城道雄は、14歳にて作曲したという。
天才だわな・・。

琴二面を用いた今回のステージは、とんでもない迫力で演奏された。
洋楽で、ドラムのソロで、観客が拍手をして盛り上げたりしているが、それぐらいやってもいいんじゃない?と思ってしまった。

お琴の演奏というと、優雅とか、静かとか、ゆったりという一般のイメージを持ちやすいが、そんなものふっ飛んでしまう。

専門的なテクニックや技量の良し悪しは語れる立場ではないが、非常に楽しめる曲。
ただ・・下手な人がこれをひくと、きっと曲にはなっても、面白みはないんだろうなあ・・と思える曲だ。

2007年7月1日日曜日

八重衣

松尾恵子 三絃 唄
小橋幹子 筝

生田流日本古曲全集

難曲の誉れ高し。
石川勾当の作品だが、作曲したはいいいものの、「こんな難しい曲なんて、弾けるわけ無いじゃん」と演奏家達からボイコットされる。そこで宮原検校が「できね~のかあ、八重崎もたいしたことね~な」」とたきつけて、八重崎検校が、手をつけて、今にまで生き残っている曲。
検校とか、勾当というのは役職名。検校-別当-勾当-座頭の順番。自分たちより身分の低い奴が作った曲が難しいなんて認めたくないだろうなあ。まさに闇に葬りさられようとしていた。
さて、一番偉いのは、石川か八重崎か。あるいは宮原か。

曲の歌詞だが、「衣」を詠われている和歌5首。意味と全文は、尺八演奏家の山戸朋盟氏のHPで解説しているので、本記事では省略する。->八重衣歌詞解説

とにかく難しい曲。「お稽古初めて5年ですう」なんて人が、「やりたい」とか言うと、まっとうな先生だと「10年早い!」と蹴飛ばされる。そりゃそうだよね、昔プロからボイコットされるくらいなんだから。

この録音を演奏しているお二方ともに、現役を退き評価の定まった演奏家。生田・宮城の流れでは、バイブルというか、パイロット・プレイ、目標としての組み合わせ。

三味線と琴のカラミがすさまじい。津軽三味線のような荒々しい速さ、勢いではないが、その動きは繊細でありながら、けして留まらない。圧巻。尺八のない演奏なので、尚、その凄さが際立つ。
九州系の流派の八重衣だと、三味線の凄さが聴きどころらしいが、この演奏では、琴が、(いい意味で)とんでもないことになっている。
専門家に言わせると、この演奏は生田の中でも、「宮城」の特徴がよく出ている弾き方だそうです。

もはや、かなわぬ夢だが、この2人の組み合わせ、ライブで聴いてみたいもんだった。そう、ライブ、演奏会。お座敷で聞きたくはないな。

演奏会で上梓される方への聴くだけの素人からの希望。うちのめしていただきたいと思っております。どうぞよろしく。

2007年6月25日月曜日

三味線は消耗品・・・

これを最初に聞いたときは、ビックリした。
そりゃあ、皮とか弦(糸)が磨耗するのは理解できる。それなりにメンテも必要だと聞いても、納得できる。
が、プロの人は、棹も使い込んでくると、段々磨り減って、音が変わってくるとのこと。まあ、10年は持つらしいけど。
だけど、プロ用だと、数百万。年間で数十万か・・。サラリーマンのスーツと靴だと考えても、かなり贅沢だよな。

中古で買うなら、皮や糸は張りなおせばいいけど、棹はどうしょうもない。磨り減ってないか、よく見ないと。

2007年6月9日土曜日

月見酒

一中節
演奏
・浄瑠璃:宇治舟文 宇治紫仙
・三味線:宇治文蝶 宇治紫行
(文蝶先生は、人間国宝)
2007/6/9 水戸で演奏。

一中節宇治派は、1848に独立、その披露の宴で発表された。
宴の主催者は、摂津国屋藤次郎
初代の宇治紫文斎は当時53歳

紫文斎は、1791 材木屋に生まれる。
月見酒発表(宇治派設立)の10年後、1858没する。

森鴎外 「細木香以」に、宇治派設立の頃が扱われている。

細木香以が出ている鴎外の著書、アマゾン新品入手可能なのは、これしかないようだ。後は古本屋だな・・。
-->鴎外歴史文学集〈第4巻〉寒山拾得・細木香以・寿阿弥の手紙ほか